人はなぜ、変わりたいと願うのでしょう?
人はなぜ変わりたい、と願うのでしょう?
わたしも当初は
変身したいということは、その根底には今の自分自身から脱したいという願いがあるはずと、考えておりました。
今の自分が嫌だから。
いまより良くなりたいから。
自分が好きになれない。
好きな自分自身ではないから、他のものになりたい。
でもさまざまな人と出会い、お話をしていくなかで
そして自分自身のなかでも多くの葛藤を経験して、あらたな考えが見えてきました。
つまりね。
「変身願望」を抱く人は実のところ、叶うことならいまの自分から変わりたくないし、捨てたくないと願ってもいるということです。
いまの自分では太刀打ちできない状況にあるけれども、いまの自分のままで何とかしたい。
というのが本音だったりする。
「変身」とは蛹が蝶にかえるもの。
全くの別物になることを指します。
変身したさきの未来には、温かい繭に中でおさまっていることは出来ません。
眠っていることも叶わない世界が広がっている。
その代わりに羽をもつことが出来る。
持ってしまった羽は、使わないと「変身」した意味がない。
と、御自身のきびしいみなさまはお考えになるのかもしれませんね!!
さも「変身、変わる事」が大変で後戻りできなくて、自分にとっては至極困難な事だと思い込む。
そして足踏みをして進めない方は多いと思いますよ。
でもね。
「 変身願望 」 は すぐに叶えられますよ?
それも、思っていないような簡単なことで。
捨てる と 変わる はべつものよ。
「変身」とは容易いものではありません。
あれあれ?と思われるかもですね。
さっきまで簡単といってたじゃないかSHOCO!!
まあ聞いてください。
「変身」とは変わることです。
みなさまの胸のなかの「変身」はどうですか?
どんな意味を内包していますか?
恐らく「己を捨てなければならない」に近しいものがあるのでは?
どうしても大切にしてきた自分と決別しなければならない、なんてことはそう簡単に受け入れらえるものではありません。
という感じに、少々過激な思想に偏りかねないほど、
魅力的でもあり、強烈な行為ですから。
でも実は、それは「変身」を「まったく別の存在にならなければいけない」と勘違いしているから起こるのですよ。
変身とは苦しむための行為ではありません。
ただ必要な事は【一度、自分を置いておく】これだけです。
【置く】ということは、またいつでも拾い上げられし、眠りから覚めたようにまた元の素の自分自身に戻れる。という意味です。
そして「変身できる自分」を疑似体験することも可能です。
元の自分の素材を活かして少しずつ変えていく。
ガラッと見た目だけでも大変身してみる。
そういった積み重ねをしていく事で、案外重く大切にし過ぎていた自分って存在は、そんなに大したことない。そこまで執着するものでもなかった。
と実感するようになってくるのです。
自分を手放し、全く別の存在としての目線で知ることが出来る体験の前では、
繭のなかでヌクヌクしていた日々も過ぎ去った過去に過ぎない。
今目の前に広がる世界に精一杯なるのですから。
「変身願望」で止まらず思い切って「変身」しちゃいましょう。
よい一日を。
マルチ・アーティスト後藤祥子こと
筋トレ占星術師SHOCO
No responses yet