占星学家としての顔

占星学との出逢い
占いとの付き合いは極一般的な関わりから。
子ども時代は雑誌の巻末の各週占い。
朝のテレビニュース内での星座ランキングなどが主な情報源。
それが彩を増していったのが、ある一冊の本との出会いから。
2016年ボイストレーニングの師匠との出逢いにより、
徐々に舞台発声技術に実力をつけ始めていたころ。
全身の筋肉量増加により全力を出さずとも
豊かな余裕ある表現を何時間も維持することが出来る様になっていた。
姿勢維持、スタミナ、発声力、音の高低響きそのものを
レベルアップさせていた、正に成長過渡期。
筋力トレーニングは、身体能力だけでなく、
知的吸収率まで格段に上げていっていた。
だがそんな中でも、どうしても越えられない壁は出てきた。
何度もしてしまう失敗や癖が何をしても顔を出すのだ。
性格上の問題なのか。どこかから受けた悪影響なのか
一体どこから来るのか、全くの謎。
自分自身のことなのに、わからない。
そして、嘆くのにも飽きたころ新たな行動に出る。
それは何ヶ月も書店に通い、閉店時間ギリギリまで本を読み漁ること。
ビジネス書、自己啓発、マインドセット、メンタルケア、心理学、人間学、行動学、スピリチュアル系までありとあらゆる本を手に取った。
「変わりたい」
「師匠や先生の期待に応える以上のものを見せたい」
「自分を認めれるよう克服したい」
「限界を超えたい」
「ダメな所全部消し去りたい」
「人に観てもらえるアーティストでいるために」
半ば執念に突き動かされるように大抵の本にも食傷気味となったころ、
たまたま手に取った一冊の本があった。
それは星読みの本だった。
たった一個の惑星のみにフォーカスをあてた、初心者向けのモノ。
それまで知らなった新たな視点に、興味をそそられた。
そして内容が大体把握できたころ。誰でも思い浮かぶ考えに至る。
「自分で見れるんじゃない?」
なんでも自分でやろうとする。これも自分ではわからない行動の癖であった。
そう。この生き方の癖のようなものにずっと悩み続けていた。
「その何故の原因を知れるなら···」
そうして書籍を幾つか買い込み、自分自身の出生天宮図を作ってみた。
これが生まれて初めての占い。
鑑定要素を全て書き出してみた。
完成図を目の前にして涙が溢れ、止まらなかった。
そこには、人生のあらゆる出来事を裏付ける世界観全てが描かれていた。
本当は嫌いたくなんかなかった、実は与えられていた
掴み切れなかった純粋な自分自身とようやく出会えた気がした。
この時から、自然と占星術を研究しはじめ、今に至る。
数数多の占術がある中でポピュラーな西洋占星術をし続けているのは、
「地球の何百倍もの星が云っているのだから、受け取る以外ない」という
解り易い壮大さからだと思う。
また占星学とははるか大昔、大陸に存在した古代文明の時代から培われた
人類規模の確かな歴史をもった学術だと知れたからだ。
占星学のなかには天文学、考古学、神秘学、図像学、数学、物理学、民俗学、哲学
あらゆる知恵の土台となる要素が星の如くちりばめられているのです。
ただやはり、なによい大切なのは
今を生きる人間そのものの人生だということ。
占星学をとおして受け取ったものを活かすか、
依存し頼るだけなのかは個人の意思次第です。
私は西洋占星術で自分を知れたことで、ワタシの全て受け入れることが出来た。
受け入れるとは、「等身大の自分と正面から向き合い続ける」覚悟を決める事。
だから日々星からの影響を観察しつつ、それらに行動指針を左右されず、目的に沿った方向に行動できるよう、肉体的アプローチ法も構築している。
「星の影響か」と軽くいなすのも技術の一つだ。
今や、他の誰かの為にこの技術を使うようになった。
それは占星術士としてだけでなく、一表現家としての面。
また越えて来た苦難の道筋も合わさって、新たな一つの顔となっている。
【占星術とボディパフォーマンスの融合】
俳優としての活動と共に、近年は天体占星術、中世の魔術文化の研究に力を注いでいる。
舞台発声と英国演技術の研鑽を積む中で、人間の内面に抗いがたい弱さ・生きる癖が存在することに気付く。
また自身が複雑な家庭環境に身を置いていたため、幼少期よりあらゆる人間心理・人間模様を知ることとなる。
結果として、それらを越える為にあらゆる精神面へのアプローチ法を試し続ける。
最終的にたどり着いたのが、占いの世界、星読みの世界だった。
現在は古典演劇文化と占星術の繋がりを研究している。とくに中世英国の作家、詩人、俳優でもあったW・シェイクスピアの作品にまつわる占星学文化については、現代の俳優・演劇人の知識教養となるであろうと考え、各作品ごとに研究を進めている。
(定期での鑑定は休止中)