思いを形にすることは難しい。

相談したいことは、人それぞれたくさんありますね。
その中でも特に話すことが難しいのは、自ら犯してしまった過ちや失敗について。
時折申し訳なさそうに口に出される方がいらっしゃいます。恋人にひどいことを言ってしまった。自分勝手な理由から恋人に別れを告げた。お金を借りっぱなし。仕事でミスをした。何気ない一言で親友との関係を悪くした。
でもね?
これを言葉にして赤の他人に話せる時点でその人はすごく勇気がある。真っ直ぐな目を持っている!んですよ。
なぜかって?
他人に話せるほど非を認めてるとか?
自分の過ちを見過ごすことなく告解しているから?
いいえ。それより以前の段階で、彼らはたくさんの勇気ある行動をとっているのですよ。
それはなにかというと・・・・
【言葉にし難いことを言葉にしている】ことそのものなのです。
過ちを認めるだとか、罪を告白するのは相手がいたら出来るのです。でもその前に、自らに自分がしてことを刻み込む、直に認識させることそのものが誰しもが到達できない大きな関門であるのですよ。
自分なりの理由があったから行った行動。それが間違いだったと認められる人間などどれほどいるというのでしょう?たいていのひとは「それでも自分が正しかった。」と意固地になるものですね。その方が自らを傷つけずに済みますから。
でもそれを言葉に出来るひとは大きな贖罪をもって、語るのです。
自らの声を、聞くこと
自らの過ちや悩み、心の奥底に沈んだ本心というものは、理由があって沈めているものです。普段から表層にあっては自らが立ち行かなくなる。それほど大きな負荷を孕んでいます。
それらに形を持たせ、声に出すことは
直に自分自身へも語らうことになります。
私たちは、自分の声が実際に音として、耳で聞こえますね?
多くの方がそうだと思います。
だからこそ、自分に直に聞こえるように語ることは非常に難しいのです。聞いてしまった以上語ってしまった以上は、全て事実として脳に刻み込まれるのですから。
逆を言えば。語ることで自身に再認識、強く印象づけることも可能なのです。困難な状況に追い込まれて自分を鼓舞することは体に直接語りかけるのと同じことです。
そしてときに、勇気ある告白をし、そこで改めて自らが犯してしまった過ちを刻み込みながら他者へ語る。
とても勇気ある行為、だとワタシは思いますよ。
だこらこそ。鑑定で話してくださった時は静かに受け入れる。お心を無下にしないよう務めております。
もちろん倫理観、社会規則、一般常識に則りながら、ですよ。
良い1日を。
マルチ・アーティスト後藤祥子こと
筋トレ占星術師SHOCO
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